この記事の結論は
「大学は不要(金儲けなら)」
です。これについて深堀します。
ホリエモンの主張:コスパが悪い
「「大学に行く意味ない」発言へのクソリプが多いので解説します」
こちらで堀江貴文さんが
- 本読めばわかる
- ネットで知識得られる
- 学費の割にコスパが悪い
- 大学教員は教えるのが下手
- オンラインサロンやSNSで人脈作れる
以上のことを言っていました。
大学不要論の代表的な論点です。
正論です。
少し前まで一生懸命反論しようとしてましたが、今はもうあきらめてます。
コスパ=生産性、効率性、利益至上主義
ただ、↑だとちょっと説得力足りないです。
ホリエモンさん系の人たちは、ビジネス至上主義です。
かっこよく言いましたが、金儲け第一です。
大学の勉強や研究を商売につなげようとするのであれば、大学なんていりません。
なくてよいです。
というか、割に合いません。
大学なんていかず、企業入って、実際に仕事して学んだ方が良いです。
私は今大学教員やってますが、サラリーマンもやってました。
大学で学んだことなんて(直接的には)何の役にも立ちませんでした。
大学もコスパを求めてきている
今の大学は、
- 学生募集
- 入学者数
- 偏差値
こういうことばっかり気にしてます。
国立にしても交付金削られ、私立も競争社会です。
財務省によってコントロールされた文科省が予算カットしてきてます。
政府はお金を発行できるのに、しません。
財務省が怖いからです。
1990年代から大学の凋落が始まったと同時に、ビジネス化が始まりました。
長期的な研究よりも目先の利益
大学教育は昨今、学生サービスに成り下がりました。
学問をコスパやビジネスと直結させているんですね。
不況やデフレで、ホリエモンたちの言うことの説得力も出てきたんでしょう。
特に目先の利益を追うようになりました。
研究とビジネスはうまくいかない
研究はすぐに役に立たないものをやるところです。
ビジネスは結果がすぐ求められます。
この二つは、仲良くなれません。
僕はイギリス文学研究ですが、文学なんて正直目先の利益なんてありません。
それが何とか社会の役に立つように、「グローバルな英語を」などと結びつきました。
無理があります。
大学も学生欲しいんです。
文学研究なんていらない
ところが、文学研究をやる意味は過去に異国の言語・文化でどのような思想があったかをじっくり考えてそれを次世代につないでいく行為です。
1、2年でなく100年前後のことをみる分野です。
それが不要だったら、その国の「グローバルな教育を!」とか異文化理解なんて嘘っぱちです。
くそ〇らえです。
デフレの帰結:研究力を落とし、衰退途上国へ
デフレや不況は豊かな思想を薄っぺらな目先の利益に誘導させます。
仕方ないんですね。
大学なんて本来、堂々と目先の利益など考えず、300年先に誰かが「この研究(論文)はすごい」と思ってもらえればよいのです。
そういうことをできる余裕が「身を切る改革」で「無駄」とされてきてしまいました。これでいいのでしょうか…
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